枕草子 (Wikisource)
第一段
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。
冬は、つとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。
第二段
ころは、正月・三月、四月・五月、七・八・九月、十一・二月。すべて、折につけつつ、一年ながらをかし。
正月。一日はまいて。空のけしきもうらうらと、めづらしう霞こめたるに、世にありとある人はみな、姿かたち心ことに繕ひ、君をも我をも祝ひなどしたるさま、ことにをかし。七日。雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの、目近からぬところに、持て騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬見にとて、里人は、車清げに仕立てて見に行く。中の御門の戸じきみ、曳き過ぐるほど、頭一ところにゆるぎあひ、刺櫛も落ち、用意せねば、折れなどして笑ふも、またをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを。はつかに見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、殿司・女官などの、行き違ひたるこそ、をかしけれ。「いかばかりなる人、九重を馴らすらむ」など思ひやらるるに、内裏にて見るは、いとせばきほどにて、舎人の顔のきぬもあらはれ、まことに黒きに、白きものいきつかぬところは、雪のむらむら消え残りたる心地して、いと見苦しく、馬の騰り騒ぐなども、いとおそろしう見ゆれば、引き入られて、よくも見えず。八日。人のよろこびして、走らする車の音、ことに聞こえて、をかし。十五日。節供まゐり据ゑ、粥の木ひき隠して、家の御たち・女房などの、うかがふを、「打たれじ」と用意して、常にうしろを心づかひしたるけしきも、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、うちあてたるは、いみじう興ありて、うち笑ひたるは、いとはえばえし。「ねたし」と思ひたるも、ことわりなり。あたらしう通ふ婿の君などの、内裏へ参るほどをも、心もとなう、ところにつけて、「われは」と思ひたる女房の、のぞき、けしきばみ、奥のかたに立たずまふを、前にゐたる人は、心得て笑ふを、「あなかま」とまねき制すれども、女はた、知らず顔にて、おほどかにてゐたまへり。「ここなるもの取りはべらむ」など、いひよりて、走り打ちて逃ぐれば、あるかぎり笑ふ。男君もにくからずうち笑みたるに、ことにおどろかず、顔すこし赤みてゐたるこそ、をかしけれ。また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ちつつ、人をのろひ、まがまがしくいふもあるこそ、をかしけれ。 内裏わたりなどの、やむごとなきも、今日はみな、乱れてかしこまりなし。除目の頃など、内裏わたり、いとをかし。雪降り、いみじう凍りたるに、申文持て歩く四位・五位、若やかに心地よげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭白きなどが、人に案内いひ、女房の局などに寄りて、おのが身の賢き由など、心一つをやりて説き聞かするを、若き人々は、まねをし笑へど、いかでか知らむ。「よきに奏し給へ」「啓し給へ」などいひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。
三月。三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の、いま咲きはじむる。柳など、をかしきこそさらなれ。それも、まだ繭にこもりたるはをかし。ひろごりたるは、うたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる桜を、長く折りて、大きなる瓶に挿したるこそをかしけれ。桜の直衣に出だし袿して、客人にもあれ、御兄の君達にても、そこ近くゐて、ものなどうちいひたる、いとをかし。
四月。祭りの頃、いとをかし。上達部・殿上人も、表の衣の濃き淡きばかりのけぢめにて、白襲ども同じさまに、涼しげにをかし。木々の木の葉、まだいと繁うはあらで、若やかに青みわたりたるに、霞も霧も隔てぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかしきに、少し曇りたる夕つ方・夜など、しのびたる郭公の、とほく「そら音か」とおぼゆばかり、たどたどしきを聞きつけたらむは、なに心地かせむ。祭り近くなりて、青朽葉・二藍の物どもおし巻きて、紙などに、けしきばかり押し包みて、行き違ひ持て歩くこそ、をかしけれ。末濃・むら濃なども、常よりはわかしく見ゆ。童女の、頭ばかりを洗ひつくろひて、服装はみな、綻び絶え、乱れかかりたるもあるが、屐子・沓などに、「緒すげさせ」「裏おさせ」など、持て騒ぎて、いつしかその日にならむと、急ぎをし歩くも、いとをかしや。
あやしう躍り歩く者どもの、装束き、仕立てつれば、いみじく「定者」などいふ法師のやうに、練りさまよふ。いかに心もとなからむ、ほどほどにつけて、母・姨の女・姉などの、供し、つくろひて、率て歩くも、をかし。蔵人思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日、青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやと、おぼゆれ。綾ならぬは、わろき。
第三段
異事なるもの。
法師の言葉。男・女の言葉。下種の言葉には、必ず、文字余り、したり。
第四段
思はむ子を法師になしたらむこそ、心ぐるしけれ。ただ、木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進もののいとあしきをうち食ひ、睡ぬるをも、若きはものもゆかしからむ、女などのあるところをもなどか忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ、それをもやすからずいふ。まいて、験者などはいとくるしげなめり。困じてうち眠れば、「眠りをのみして」など、もどかる。いとところせく、いかにおぼゆらむ。これは、むかしのことなめり。いまは、いとやすげなり。
第五段
大進生昌が家に、宮の出でさせ給ふに、東の門は四足になして、それより御輿は入らせ給ふ。北の門より、女房の車どもも、まだ陣のゐねば、入りなむと思ひて、頭つきわろき人も、いたうも繕はず、寄せて下るべきものと、思ひあなづりたるに、檳榔毛の車などは、門ちひさければ、さはりてえ入らねば、例の、筵道敷きて下るるに、いと憎く腹立たしけれども、いかがはせむ。殿上人、地下なるも、陣に立ちそひて見るも、いとねたし。
御前に参りて、ありつるやう啓すれば、「ここにても、人は見るまじうやは。などか、さしもうちとけつる」と、笑はせ給ふ。「されど、それは、目馴れにてはべれば。よく仕立ててはべらむにしもこそ、驚く人もはべらめ。さても、かばかりの家に、車入らぬ門やはある。見えば笑はむ」などいふ程にしも、「これ、参らせ給へ」とて、御硯など差し入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。など、その門はた、狭くは造りて住み給ひける」といへば、笑ひて、「家のほど身のほどにあはせてはべるなり」といらふ。「されど、門の限りを高う造る人などにはべらずは、うけたまはり知るべきにもはべらざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られはべる」といふ。「その御道も、かしこからざめり。筵道敷きたれど、皆おちいりさわぎつるは」といへば、「雨の降りはべりつれば、さもはべりつらむ。よし、よし。また仰せられかくることもぞはべる。まかり起ちなむ」とて、往ぬ。「何事ぞ。生昌がいみじう怖ぢつる」と、問はせ給ふ。「あらず。車の入りはべらざりつること言ひはべりつる」と申して、下りたり。
同じ局に住む若き人々などして、万づのことも知らず、ねぶたければ、皆寝ぬ。東の対、西の廂、北かけてあるに、北の障子に懸け金もなかりけるを、それも尋ねず、家主なれば、案内を知りて、開けてけり。あやしく嗄ればみ、さわぎたる声にて、「さぶらはむはいかに。さぶらはむはいかに」と、あまたたびいふ声にぞ、驚きて見れば、几帳の後に立てたる燈台の光はあらはなり。障子を五寸ばかり開けて、いふなりけり。いみじうをかし。さらに、かやうのすきずきしきわざゆめにせぬものを、わが家におはしましたりとて、むげに心にまかするなめり、と思ふも、いとをかし。かたはらなる人をおし起して、「かれ見たまへ。かかる見えぬ者のあめるは」といへば、頭もたげて見やりて、いみじう笑ふ。「あれは誰ぞ。顕証に」といへば、「あらず。家の主と、定め申すべきことのはべるなり」といへば、「門のことをこそ聞こえつれ、障子開け給へとやは聞こえつる」といへば、「なほ、そのことも申さむ。そこにさぶらはむはいかに。そこにさぶらはむはいかに」といへば、「いと見苦しきこと」「さらにえおはせじ」とて、笑ふめれば、「若き人おはしけり」とて、引き立てて、往ぬる後に、笑ふこといみじう、「開けむとならば、ただ入りねかし。消息をいはむに、よかなりとは、たれかいはむ」と、げにぞをかしき。
早朝、御前に参りて啓すれば、「さることも聞こえざりつるものを。昨夜のことにめでて行きたりけるなり。あはれ。かれをはしたなういひけむこそ、いとほしけれ」とて、笑はせ給ふ。
姫宮は、何の色にかつかうまつらすべき」と申すを、また笑ふもことわりなり。「姫宮の御前のものは、例の様にては憎げにさぶらはむ。ちうせい折敷に、ちうせい高杯などこそ、よくはべらめ」と申すを、「さてこそは、うはおそひ着たらむ童も、参りよからめ」といふを、「なほ、例の人のやうに、これなかくないひ笑ひそ。いと勤公なるものを」と、いとほしがらせ給ふもをかし。
中間なる折に、「大進、まづもの聞こえむ、とあり」といふを聞こしめして、「また、なでふこといひて、笑はれむとならむ」と仰せらるるも、またをかし。「行きて聞け」とのたまはすれば、わざと出でたれば、「一夜の門のこと、中納言に語りはべりしかば、いみじう感じ申されて、いかで、さるべからむ折に、心のどかに対面して、申しうけたまはらむとなむ申されつる」とて、また異ごともなし。「一夜のことやいはむ」と、心ときめきしつれど、「いま、しづかに御局にさぶらはむ」とて往ぬれば、帰り参りたるに、「さて、何事ぞ」とのたまはすれば、申しつることを、「さなむ」と啓すれば、「わざと消息し、呼び出づべきことにはあらぬや。おのづから、端つ方・局などにゐたらむ時も、言へかし」とて、笑へば、「おのが心地に、賢しと思ふ人の褒めたる、うれしとや思ふと、告げ聞かするならむ」とのたまはする御けしきも、いとめでたし。
第六段
上にさぶらふ御猫は、かうぶりにて、命婦のおとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせ給ふが、端に出でて臥したるに、乳母の馬の命婦、「あな、まさなや。入り給へ」と呼ぶに、日の差し入りたるに眠りてゐたるを、脅すとて、「翁丸いづら。命婦のおとど食へ」といふに、誠かとて、たれものは走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾のうちに入りぬ。
朝餉の御前に、主上おはしますに、御覧じて、いみじう驚かせ給ふ。猫を御懐に入れさせ給ひて、男ども召せば、蔵人忠隆・なりなか参りたれば、「この翁丸打ち調じて、犬島へつかはせ。ただ今」と仰せらるれば、集まり狩り騒ぐ。馬の命婦をもさいなみて、「乳母替へてむ。いとうしろめたし」と仰せらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、滝口などして追ひつかはしつ。「あはれ。いみじうゆるぎ歩きつるものを」「三月三日、頭弁の、柳かづらせさせ、桃の花を挿頭に刺させ、桜腰に差しなどして、歩かせ給ひし折、かかる目見むとは思はざりけむ」など、あはれがる。「御膳の折は、必ず向かひさぶらふに、寂々しうこそあれ」などいひて、三四日になりぬる昼つ方、犬いみじう啼く声のすれば、なぞの犬の、かく久しう啼くにかあらむと聞くに、万づの犬、とぶらひ見に行く。御厠人なるもの走り来て、「あな、いみじ。犬を蔵人二人して打ち給ふ。死ぬべし。犬を流させ給ひけるが、帰り参りたるとて、調じ給ふ」といふ。心憂のことや。翁丸なり。「忠隆・実房なんど打つ」といへば、制しにやるほどに、からうじて啼きやみ、「死にければ、陣の外に引き棄てつ」といへば、あはれがりなどする夕つ方、いみじげに腫れ、あさましげなる犬の、侘しげなるが、わななきありければ、「翁丸か。このごろ、かかる犬やは歩く」といふに、「翁丸」といへど、聞きも入れず。「それ」ともいひ、「あえず」とも口々申せば、「右近ぞ見知りたる。呼べ」とて召せば、参りたり。「これは翁丸か」と、見せさせ給ふ。「似てははべれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また、翁丸かとだにいへば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。それは、打ち殺して棄てはべりぬとこそ申しつれ。二人して打たむには、はべりなむや」など申せば、心憂がらせ給ふ。 暗うなりて、物食はせたれど、食はねば、あらぬものにいひなしてやみぬるつとめて、御梳髪・御手水など参りて、御鏡を持たせさせ給ひて御覧ずれば、げに、犬の柱基にゐたるを見やりて、「あはれ。昨日は翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらむ。いかにわびしき心地しけむ」とうちいふに、このゐたる犬のふるひわななきて、涙をただ落としに落とすに、いとあさまし。「さば、翁丸にこそはありけれ。昨夜は隠れ忍びてあるなりけり」と、あはれにそへて、をかしきこと限りなし。御鏡うち置きて、「さば、翁丸か」といふに、ひれ伏して、いみじく啼く。御前にも、いみじう落ち笑はせ給ふ。右近内侍召して、「かくなむ」と仰せらるれば、笑ひののしるを、主上にも聞こしめして、渡りおはしましたり。「あさましう。犬なども、かかる心あるものなりけり」と、笑はせ給ふ。上の女房なども聞きて、参り集まりて呼ぶにも、今ぞ起ち動く。「なほ、この顔などの腫れたるものの、手をせさせばや」といへば、「ついにこれをいひ露はしつること」など、笑ふに、忠隆聞きて、台盤所の方より、「さとにやはべらむ。かれ見はべらむ」といひたれば、「あな、ゆゆし。さらにさるものなし」といはすれば、「さりとも、見つくる折もはべらむ。さのみもえ隠させ給はじ」といふ。
さて、かしこまり許されて、もとのやうになりにき。なほ、あはれがられて、ふるひ啼き出でたりしこそ、世に知らずをかしく、あはれなりしか。人などこそ、人にいはれて泣きなどはすれ。
第七段
正月一日、三月三日は、いと、麗らかなる。五月五日は、曇り暮らしたる。七月七日は、曇り、夕方は、晴れたる空に、月、いと、明かく、星の数、見えたる。九月九日は、暁方より、雨、少し降りて、菊の露も、こちたく、覆ひたる綿なども、甚く濡れ、移しの香も、持て映やされたる。早朝は、止みにたれど、猶、曇りて、動もすれば、降り落ちぬべく見えたるも、をかし。
第八段
慶び奏するこそ、をかしけれ。うしろをまかせて、御前の方に向かひて立てるを、拝し、舞踏し、さわぐよ。
第九段
内裏の東をば、北の陣と言ふ。梨の木のはるかに高きを、「いく尋あらむ」など言ふ。権中将、「もとよりうち切りて、定澄僧都の枝扇にせばや」とのたまひしを、山階寺の別当になりて、慶び申す日、近衛司にてこの君の出でたまへるに、高きけいしをさへ履きたれば、ゆゆしう高し。出でぬる後に、「など、その枝扇をば持たせたまはぬ」と言へば、「もの忘れせぬ」と、笑ひたまふ。「定澄僧都に袿なし。すくせ君に衵なし」と言ひけむ人こそ、をかしけれ。
第十段
山は 小倉山。三笠山。このくれ山。わすれ山。いりたち山。鹿背山。ひはの山。かたさり山こそ、誰に所おきけるにかと、をかしけれ。五幡山。後瀬山。笠取山。ひらの山。鳥籠の山は、わが名もらすなと、みかどのよませ給ひけん、いとをかし。 伊吹山。朝倉山、よそに見るらんいとをかしき。岩田山。大比禮山もをかし、臨時の祭の使などおもひ出でらるべし。手向山。三輪の山、いとをかし。音羽山。待兼山。玉坂山。耳無山。末の松山。葛城山。美濃の御山。柞山。位山。吉備の中山。嵐山。更級山。姨捨山。小鹽山。淺間山。かたため山。かへる山。妹背山。
第十一段
市は 辰(たつ)の市。椿市は、大和に數多ある中に、長谷寺にまうづる人の、かならずそこにとどまりければ、觀音の御縁あるにやと、心ことなるなり。おふさの市。餝摩の市。飛鳥の市。
第十二段
峯は、ゆづるはの峯。阿彌陀の峯。彌高の峯。
第十三段
原は竹原。甕の原。朝の原。その原。萩原。粟津原。奈志原。うなゐごが原。安倍の原。篠原。
第十四段
淵は かしこ淵、いかなる底の心を見えて、さる名をつけけんと、いとをかし。ないりその淵、誰にいかなる人の教へしならん。青色の淵こそまたをかしけれ。藏人などの身にしつべくて。いな淵。かくれの淵。のぞきの淵。玉淵。
第十五段
峰は、ゆづるはの峰。阿弥陀の峰。いやたかの峰。
第十六段
陵は、
うぐひすの陵。柏原の陵。あめの陵。
第十七段
渡は、
然菅の渡。水橋の渡。こりずまの渡。
第二十段
清涼殿のうしとらの隅の北のへだてなる御障子には、荒海の繪、生きたるものどものおそろしげなる、手長足長をぞ書かれたる。うへの御局の戸、押しあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふほどに、
高欄のもとに、青き瓶の大なる据ゑて、櫻のいみじくおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄のもとまでこぼれ咲きたるに、ひるかつた、大納言殿、櫻の直衣の少しなよらかなるに、濃き紫の指貫、白き御衣ども、うへに濃き綾の、いとあざやかなるを出して參り給へり。うへのこなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷に居給ひて、ものなど奏し給ふ。
御簾のうちに、女房櫻の唐衣どもくつろかにぬぎ垂れつつ、藤山吹などいろいろにこのもしく、あまた小半蔀の御簾より押し出でたるほど、晝御座のかたに御膳まゐる。足音高し。けはひなど、をしをしといふ聲聞ゆ。うらうらとのどかなる日の景色いとをかしきに、終の御飯もたる藏人參りて、御膳奏すれば、中の戸より渡らせ給ふ。
御供に大納言參らせ給ひて、ありつる花のもとに歸り居給へり。宮の御前の御儿帳押しやりて、長押のもとに出でさせ給へるなど、唯何事もなく萬にめでたきを、さぶらふ人も、思ふことなき心地するに、月も日もかはりゆけどもひさにふるみ室の山のといふ故事を、ゆるるかにうち詠み出して居給へる、いとをかしと覺ゆる。げにぞ千歳もあらまほしげなる御ありさまなるや。
陪膳つかうまつる人の、男どもなど召すほどもなくわたらせ給ひぬ。「御硯の墨すれ」と仰せらるるに、目はそらにのみにて、唯おはしますをのみ見奉れば、ほど遠き目も放ちつべし。白き色紙おしたたみて、「これに只今覺えん故事、一つづつ書け」と仰せらるる。外に居給へるに、「これはいかに」と申せば、「疾く書きて參らせ給へ、男はことくはへ侍ふべきにもあらず」とて、御硯とりおろして、「とくとくただ思ひめぐらさで、難波津も何もふと覺えん事を」と責めさせ給ふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひみだるるや。春の歌、花の心など、さいふいふも、上臈二つ三つ書きて、これにとあるに、
年經れば齡は老いぬしかはあれど花をし見れは物おもひもなし
といふことを、君をし見ればと書きなしたるを御覽じて、「唯このこころばへどもの、ゆかしかりつるぞ」と仰せらる。ついでに、「圓融院の御時、御前にて、草紙に歌一つ書けと、殿上人に仰せられけるを、いみじう書きにくく、すまひ申す人々ありける。更に手の惡しさ善さ、歌の折にあはざらんをも知らじと仰せられければ、わびて皆書きける中に、ただいまの關白殿の、三位の中將と聞えけるとき、
しほのみついづもの浦のいつもいつも君をばふかくおもふはやわが
といふ歌の末を、たのむはやわがと書き給へりけるをなん、いまじくめでさせ給ひける」と仰せらるるも、すずろに汗あゆる心地ぞしける。若からん人は、さもえ書くまじき事のさまにやとぞ覺ゆる。例いとよく書く人も、あいなく皆つつまれて、書きけがしなどしたるもあり。
古今の草紙を御前に置かせ給ひて、歌どもの本を仰せられて、「これが末はいかに」と仰せらるるに、すべて夜晝心にかかりて、おぼゆるもあり。げによく覺えず、申し出でられぬことは、いかなることぞ。宰相の君ぞ十ばかり。それもおぼゆるかは。まいて五つ六つなどは、ただ覺えぬよしをぞ啓すべけれど、「さやはけ惡くく、仰事をはえなくもてなすべき」といひ口をしがるもをかし。知ると申す人なきをば、やがて詠みつづけさせ給ふを、さてこれは皆知りたる事ぞかし。「などかく拙くはあるぞ」といひ歎く中にも、古今あまた書き寫しなどする人は、皆覺えぬべきことぞかし。
「村上の御時、宣耀殿の女御と聞えけるは、小一條の左大臣殿の御女におはしましければ、誰かは知り聞えざらん。まだ姫君におはしける時、父大臣の教へ聞えさせ給ひけるは、一つには御手を習ひ給へ、次にはきんの御琴を、いかで人にひきまさらんとおぼせ、さて古今の歌二十卷を、皆うかべさせ給はんを、御學問にはさせたまへとなん聞えさせ給ひけると、きこしめしおかせ給ひて、御物忌なりける日、古今をかくして、持てわたらせ給ひて、例ならず御几帳をひきたてさせ給ひければ、女御あやしとおぼしけるに、御草紙をひろげさせたまひて、その年その月、何のをり、その人の詠みたる歌はいかにと、問ひきこえさせたまふに、かうなりと心得させたまふもをかしきものの、ひがおぼえもし、わすれたるなどもあらば、いみじかるべき事と、わりなく思し亂れぬべし。そのかたおぼめかしからぬ人、二三人ばかり召し出でて、碁石して數を置かせ給はんとて、聞えさせ給ひけんほど、いかにめでたくをかしかりけん。
御前に侍ひけん人さへこそ羨しけれ。せめて申させ給ひければ、賢しうやがて末までなどにはあらねど、すべてつゆ違ふ事なかりけり。いかでなほ少しおぼめかしく、僻事見つけてを止まんと、ねたきまで思しける。十卷にもなりぬ。更に不用なりけりとて、御草紙に夾算して、みとのごもりぬるもいとめでたしかし。いと久しうありて起きさせ給へるに、なほこの事左右なくて止まん、いとわろかるべしとて、下の十卷を、明日にもならば他をもぞ見給ひ合するとて、今宵定めんと、おほとなぶら近くまゐりて、夜更くるまでなんよませ給ひける。されど終に負け聞えさせ給はずなりにけり。
うへ渡らせ給ひて後、かかる事なんと、人々殿に申し奉りければ、いみじう思し騒ぎて、御誦經など數多せさせ給ひて、そなたに向ひてなん念じ暮させ給ひけるも、すきずきしくあはれなる事なり」など語り出させ給ふ。うへも聞しめして、めでさせ給ひ、「いかでさ多くよませ給ひけん、われは三卷四卷だにもえよみはてじ」と仰せらる。「昔はえせものも皆數寄をかしうこそありけれ。このごろかやうなる事やは聞ゆる」など、御前に侍ふ人々、うへの女房のこなたゆるされたるなど參りて、口々いひ出でなどしたる程は、誠に思ふ事なくこそ覺ゆれ。
第二十一段
清涼殿の丑寅のすみの、北のへだてなる御障子は、 荒海の絵、生きたるものどもの恐ろしげなる、 手長、足長などをぞかきたる。 上の御局の戸押しあけたれば、常に目にみゆるを、 憎みなどして笑ふ。
勾欄(こうらん)のもとに青きかめの大きなるを据ゑて、 桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、 いと多くさしたれば、勾欄の外まで咲きこぼれたる、
昼つかた、大納言殿、桜の直衣すこしなよらかなるに、 濃き紫の固紋(かたもん)の指貫、白き御衣(みぞ)ども、 上には濃き綾のいとあざやかなるを出だして参りたまへるに、
上のこなたにおはしませば、 戸口の前なる細き板敷きにゐたまひて、物など申したまふ。
御簾の内に、女房、桜の唐衣どもくつろかに脱ぎたれて、 ふぢ、やまぶきなどいろいろ好ましうて、 あまた小半蔀(こはじとみ)の御簾よりもおしいでたるほど、
昼の御座(ひのおまし)のかたには、御膳(おもの)参る足音高し。 警蹕(けいひち)など「おし。」と言ふ声きこゆるも、 うらうらとのどかなる日のけしきなど、いみじうをかしきに、 果ての御盤取りたる蔵人参りて、御膳奏すれば、 中の戸より渡らせたまふ。御供に廂より、
大納言殿、御送りに参りたまひて、 ありつる花のもとに帰りゐたまへり。
第二十二段
すさまじきもの。昼ほゆる犬。春の網代(あじろ)。三、四月の紅梅の衣(きぬ)。牛死にたる牛飼ひ。児(ちご)亡くなりたる産屋。人おこさぬ炭櫃(すびつ)、地火炉(ぢかろ)。博士(はかせ)のうち続き女子生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などはいとすさまじ。
人の国よりおこせたる文の、物なき。京のをもさこそ思ふらめ、されどそれはゆかしきことどもをも、書き集め、世にあることなどをも聞けば、いとよし。人のもとにわざと清げに書きてやりつる文の、返り言いまはもて来ぬらむかし、あやしう遅き、と待つほどに、ありつる文、立て文をも結びたるをも、いと汚げにとりなし、ふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは、「御物忌みとて取り入れず」と言ひて持て帰りたる、いとわびしく、すさまじ。
また、かならず来べき人のもとに車をやりて待つに、来る音すれば、さななりと人々出でて見るに、車宿りにさらに引き入れて、轅(ながえ)ほうと打ち降ろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日はほかへおはしますとて、渡りたまはず」などうち言ひて、牛の限り引き出でて去ぬる。
また、家のうちなる男君の来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、恥づかしと思ひゐたるも、いとあいなし。
児の乳母の、ただあからさまにとて出でぬるほど、とかく慰めて、「とく来」と言ひやりたるに、「今宵は、え参るまじ」とて返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女迎ふる男、まいていかならむ。待つ人ある所に夜すこし更けて忍びやかに門たたけば、胸すこしつぶれて、人出だして問はするに、あらぬよしなき者の、名のりして来たるも、返す返すもすさまじと言ふはおろかなり。
験者の、物の怪調ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷や数珠など持たせ、蝉の声しぼり出だして読みゐたれど、いささかさりげもなく、護法もつかねば、集りゐ念じたるに、男も女もあやしと思ふに、時のかはるまで読み困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験なしや」とうち言ひて、額より上ざまにさくり上げ、あくびおのれよりうちして、寄り臥しぬる。
いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、押し起こして、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。
除目(じもく)に司得ぬ人の家。今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集まり来て、出で入る車の轅もひまなく見え、もの詣でする供に、我も我もと参りつかうまつり、物食ひ酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁まで門たたく音もせず、あやしうなど、耳立てて聞けば、先追ふ声々などして上達部など皆出でたまひぬ。もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男、いともの憂げに歩み来るを見る者どもは、え問ひだにも問はず、ほかより来たる者などぞ、「殿は何にかならせたまひたる」など問ふに、いらへには「何の前司にこそは」などぞ、必ずいらふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人二人すべり出でて去ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとをかしうすさまじげなる。
第二十四段
人に侮らるる物、
家の北面。余り、心良きと、人に知られたる人。年老いたる翁。又、淡々しき女。築地の崩れ。
第二十六段
心悸する物、
雀の子飼ひ。児、遊ばする所の前、渡りたる。良き薫物、炷きて、一人、臥したる。唐鏡の、少し暗き、見たる。良き男の、車止めて、物言ひ、案内させたる。頭洗ひ、化粧じて、香に染みたる衣、着たる。殊に、見る人無き所にても、心の中は、猶、をかし。待つ人など有る夜、雨の脚、風の吹き揺るがすも、ふとぞ、驚かるる。
第三十四段
木の花は、濃きも薄きも紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたるあさぼらけの桜に劣らず。ほととぎすのよすがとさへ思へばにや、なほさらに言ふべうもあらず。
梨の花、よにすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず。愛敬おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あいなく見ゆるを、唐土には限りなきものにて、文にも作る、なほさりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。 楊貴妃の、帝の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、「梨花一枝、春、雨を帯びたり。」など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。
桐の木の花、紫に咲きたるはなほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど世の常に言ふべくやはある、いみじうこそめでたけれ。
木のさまにくげなれど、楝の花いとをかし。かれがれに、さまことに咲きて、必ず五月五日にあふもをかし。
第九十二段
かたはらいたきもの、よくも音弾きとどめぬ琴を、よくも調べで、心の限り弾きたてたる。客人などに会ひてもの言ふに、奥の方にうちとけ言など言ふを、えは制せで聞く心地。思ふ人のいたく酔ひて、同じことしたる。聞きゐたりけるを知らで、人のうへ言ひたる。それは、何ばかりの人ならねど、使ふ人などだにいとかたはらいたし。
旅立ちたる所にて、下衆どものざれゐたる。にくげなるちごを、おのが心地のかなしきままに、うつくしみ、かなしがり、これが声のままに、言ひたることなど語りたる。才ある人の前にて、才なき人の、ものおぼえ声に人の名など言ひたる。ことによしともおぼえぬわが歌を、人に語りて、人のほめなどしたるよし言ふも、かたはらいたし。
第百五十一段
うらやましきもの
經など習ひて、いみじくたどたどしくて、忘れがちにて、かへすがえすおなじ所を讀むに、法師は理、男も女も、くるくるとやすらかに讀みたるこそ、あれがやうに、いつの折とこそ、ふと覺ゆれ。心地など煩ひて臥したるに、うち笑ひ物いひ、思ふ事なげにて歩みありく人こそ、いみじくうらやましけれ。
稻荷に思ひおこして參りたるに、中の御社のほど、わりなく苦しきを念じてのぼる程に、いささか苦しげもなく、後れて來と見えたる者どもの、唯ゆきにさきだちて詣づる、いとうらやまし。二月午の日の曉に、いそぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしう かからぬ人も世にあらんものを、何しに詣でつらんとまで涙落ちてやすむに、三十餘ばかりなる女の、つぼ裝束などにはあらで、ただ引きはこえたるが、「まろは七たびまうでし侍るぞ。三たびはまうでぬ、四たびはことにもあらず未には下向しぬべし」と道に逢ひたる人にうち言ひて、くだりゆきしこそ、ただなる所にては目もとまるまじきことの、かれが身に只今ならばやとおぼえしか。
男も、女も、法師も、よき子もちたる人、いみじううらやまし。髮長く麗しう、さがりばなどめでたき人。やんごとなき人の、人にかしづかれ給ふも、いとうらやまし。手よく書き、歌よく詠みて、物のをりにもまづとり出でらるる人。
よき人の御前に、女房いと數多さぶらふに、心にくき所へ遣すべき仰書などを、誰も鳥の跡のやうにはなどかはあらん、されど下などにあるをわざと召して、御硯おろしてかかせ給ふ、うらやまし。さやうの事は、所のおとななどになりぬれば、實になにはわたりの遠からぬも、事に隨ひて書くを、これはさはあらで、上達部のもと、又始めてまゐらんなど申さする人の女などには、心ことに、うへより始めてつくろはせ給へるを、集りて、戲にねたがりいふめり。
琴笛ならふに、さこそはまだしき程は、かれがやうにいつしかと覺ゆめれ。うち東宮の御乳母、うへの女房の御かたがたゆるされたる。三昧堂たてて、よひあかつきにいのられたる人。雙六うつに、かたきの賽ききたる。まことに世を思ひすてたるひじり。
第二百六十九段
よろづのことよりも情あるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげのことばなれど、せちに心に深く入らねど、